本プロジェクトは、日曜美術館 「記憶に辿りつく絵画〜亡き人を描く画家〜」(ETV 2011年)に単独で特集されている。
その詳細は「諏訪敦 絵画作品集 どうせなにもみえない」(求龍堂 2011年) 、 「kotoba」第7号(集英社 2012年)、
「日本美術全集 20巻 1996〜現在 日本美術の現在・未来」 (小学館2016年) などに収録されている。 


《恵里子》は、依頼による肖像画である。 依頼人は鹿嶋敬氏。像主の恵里子氏はその娘である。 描かれた本人は、肖像画が依頼された時点で既に亡くなっている。2008年5月2日、単身で海外旅行中のボリビア・ウユニ塩湖にて若くして事故死した娘の肖像だった。父親としての思いについては、「恵里子へ―結納式の10日後、ボリビアで爆死した最愛の娘への鎮魂歌」 (日本経済新聞出版社 2009年) で、本人によりにつぶさに綴られている。
肖像制作の依頼があったのは、2009年11月28日。
制作を正式に受諾したのは、『恵里子へ』を読了後、2010年7月20日のことである。
そして7月24日には、制作にあたって以下の条件が敬氏より提示された。

 @明るく溌剌とした恵里子を再現していただきたい。言葉を変えれば、諏訪さんの手によって、恵里子をよみがえらせていただきたい。
 A画の大きさは、室内もそう大きいわけではありませんので、F12号以下。(後に条件変更がなされた)
 Bヌード姿等は不可。

基本的には画家の考えに一任し、描くための資料として多数の写真、映像、遺品の装身具、衣服が提供された。そして依頼人との数十通に及ぶメールのやりとりののち、父親である敬氏、そして母親であるすみ子氏を描く機会を得た(2010年12月26日)。
像主に直接対峙した取材は叶わないが、写真などからは得られない恵里子氏の情報を、可能なかぎり入手しようと試みた。


恵里子 (ERIKO)
制作風景(撮影:飯村昭彦) 2011年 / 210 × 296 mm / Oil On Panel



完成に至るまで最も変更を重ねた部分、手の表現について
かねてから技術的な精度に刮目していた、装飾用義肢メーカー轄イ藤技研代表、佐藤洋二氏により、義手の提供を受け、それを参考にして制作した。佐藤洋二氏は、恵里子氏の生前の写真から、手の部分を集めたデータと身体の数値をもとに、もし恵里子氏が義手をオーダーしていたらこう作る、という仮想の依頼のもとに作られたものだった。